約20年前、私を切り捨てたゴルフ場はその後どうなったか。
あっけなく経営破たん。
別会社の経営となり、今では名前も変わった。
キャディさんらのほとんどは近隣のゴルフ場へと転職していった。
リストラ請負人の支配人はというと、
地方に飛ばされ、挙句に精神を患い療養してるという。
リストラされたあの日、
私はたったひとり、
みじめに会社を去った。
そのわずか数年後、
「自分らは大丈夫」と思ってた人たちの居場所もなくなった。
「明日は我が身」とはこの事なり。
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2021年01月06日
私を捨てたゴルフ場のその後
posted by ヤシオダ ラン at 21:51| 日記
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バブル崩壊とリストラ
30歳を過ぎたころ、世間はリストラの始まり。
なんと早々にそこにハマった。
ある日突然、上司に呼ばれ「パートになるか、辞めるか」と言われた。
10年も社員としてやってきたのに。
しかもゴルフ場のオープニングスタッフで活躍してきた自負もあった。
そのショックたるや・・・。
私は大泣きした。
支配人は冷酷にも「泣き止んだら教えて」と言いながら部屋を出て行った。
あんなに残酷な場面を味わったのに、
不思議と今は怒りも恨みもない。
ただ、
「ずいぶんヒドイやり方だったよな~~」と。
あの日がなければ、今の私はいない。
こうして
日々、
退職や転職に悩む人と共に歩むこともなかった。
なので、
あの日に感謝なのだ。
バブルはたしかに楽しい日々だった。
それはそれで楽しかったし、
そこから真っ逆さまに落ちたのも、
また人生のスパイスである。
過ぎてみればどれも面白い漫画みたいだ。
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なんと早々にそこにハマった。
ある日突然、上司に呼ばれ「パートになるか、辞めるか」と言われた。
10年も社員としてやってきたのに。
しかもゴルフ場のオープニングスタッフで活躍してきた自負もあった。
そのショックたるや・・・。
私は大泣きした。
支配人は冷酷にも「泣き止んだら教えて」と言いながら部屋を出て行った。
あんなに残酷な場面を味わったのに、
不思議と今は怒りも恨みもない。
ただ、
「ずいぶんヒドイやり方だったよな~~」と。
あの日がなければ、今の私はいない。
こうして
日々、
退職や転職に悩む人と共に歩むこともなかった。
なので、
あの日に感謝なのだ。
バブルはたしかに楽しい日々だった。
それはそれで楽しかったし、
そこから真っ逆さまに落ちたのも、
また人生のスパイスである。
過ぎてみればどれも面白い漫画みたいだ。
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posted by ヤシオダ ラン at 20:49| 日記
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