親がサラリーマンだと、
会社に入って給料をもらう、というのが当たり前という認識しかない。
というか、それしか方法がないと思う。
それはいわば、
「誰かの駒」になるということだ。
社長の駒。
社長の気が向くまま、動かされる。
なんなら捨てられる。
駒に自由意志はない。
そんな日々に
疑問も持たず生きていけるのって、
洗脳でしかない。
生活を維持するためには、
駒のまま我慢をするしかないのか?
違う。
他の選択肢を知らないだけだ。
もし、
学校で
いろんな「食べていく方法」を教えてくれていたら・・・。
でも教えてくれないから、
自分で探すしかないんだ。
たいていは探しもせず、
そのままあの世まで逝くんだ。
2020年10月25日
ただの「駒」でいたくない
posted by ヤシオダ ラン at 13:31| 日記
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